1万5000人規模のAEGIS-NOVA TOKYO開催直前、Pokémon GOの日本での提供は - ケータイ Watch

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元Doodle描きな川島さんが、PokemonGOを作ったのか!(Ingressな中の人)

――Google+でも、これまでの経緯を紹介されていましたね(関連URL)。「Pokémon GO」の正式版登場について、あらためて、川島さんのお気持ちを聞かせてください。
川島氏
そうですね……。「Pokémon GO」のプロジェクトが始まったのは2年前、エイプリルフールに実施した、グーグルマップでの「ポケモンチャレンジ」(※関連記事)がきっかけでした。(ナイアンティックは当時、まだグーグル社内のスタートアップで)「ポケモンチャレンジ」が一足先に社内で公開されたら、ジョン・ハンケが「これをIngressのプラットフォームでできないか」と言うんです。彼の子供はポケモンで育った世代ということもあって、愛着もあったのでしょう。なんとかならないか、という相談が僕のところにきました。僕としても非常に面白いなと思ったんですよね。Ingressとの相性もさることながら、当時のプロモーションビデオがよくできていて、砂漠ではその場所にあわせたポケモンが見つかる。このコンセプトは実現できるんじゃないかと思ったのです。
 僕と同じく、当時、グーグル米国本社で勤務していたエンジニアの野村(達夫氏、ナイアンティック2人目の日本人)がポケモンチャレンジを作ったのですが、相談しにいって、その結果、ポケモン社の石原(恒和)社長にお会いできた。
 石原さんも本当にあらゆるゲームに精通する天才的な人です。Ingressも深くプレイされている。その後、石原さんがグーグルで講演する機会があったのですが、Ingressをプレイしていない社員がいるにもかかわらず、Ingressでの多重コントロールフィールド(Ingress上でフィールドを複数、重ねて構築するテクニック)の話をずっとされたりして(笑)。本当にゲームを愛している方なんですよね。
 その後、「Pokémon GO」のプロジェクトは話がどんどん進んでいきました。野村がナイアンティックに加わり、プロジェクトのリーダーとしてローンチまでこぎ着けてくれました。
 それから、河合敬一がナイアンティック独立のおりに加わってくれました。「Pokémon GO」は、日本のコンテンツを米国で開発する、という構造です。日本とシリコンバレーが協力する非常に面白いケースです。こうした、違う文化を持つ2つの国が協力していくのは、どんな国同士の組み合わせであっても難しいところがあるでしょう。それを乗り越えてこられたのは、ひとつ、任天堂ポケモン社の方々が大きな熱意を持っていたことが挙げられます。そして先に申し上げた河合の存在があります。河合は、日米両方でグーグルマップのストリートビューを統括していました。日米両方の考えの違いをよく知っているのです。
 野村は自分でコードを書いていく天才肌です。河合とうまくかみあって、ここまでたどり着けたと思います。

[Pokémon GO、Ingressのナイアンティック川島氏に聞く] 1万5000人規模のAEGIS-NOVA TOKYO開催直前、Pokémon GOの日本での提供は - ケータイ Watch

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