MS日本法人が25周年、1993年・1995年・2002年に大きな技術的転換点 -INTERNET Watch(情報元のブックマーク数)

MS日本が25周年か・・・

25年で大きな転換点は、1993年のプラットフォームがDOS/Vに統一、1995年のインターネット、2002年のBlasterとかからのセキュリティか・・・

2011年2月で、マイクロソフト日本法人が25周年を迎える。これを前に1月17日、報道関係者向けの説明会が行われ、マイクロソフトディベロップメント株式会社代表取締役社長兼マイクロソフト株式会社業務執行役員最高技術責任者(CTO)の加治佐俊一氏が、技術の観点から日本法人の25年間を振り返った。
加治佐氏は、25年間における技術的な大きな転換点として、日本でのプラットフォームの統一(1993年)、インターネットへの強力なシフト(1995年)、信頼できるコンピューティング(2002年)という3つを挙げた。
まず1つめだが、加治佐氏によると、日本では当時、PC-9800やFMR、J-3100、PS/55、AXなど、さまざまなアーキテクチャのパソコンが開発・販売される「群雄割拠の時代だった」。MicrosoftのOSも各社ごとにカスタマイズされ、例えばNECMS-DOS富士通MS-DOSというように、OEM各社のブランドで流通。アプリケーションもそれぞれのアーキテクチャ用に各社で開発していたため、ある1つのアプリケーションが複数のメーカーのパソコンで動く状況ではなかったという。

MS日本法人が25周年、1993年・1995年・2002年に大きな技術的転換点 -INTERNET Watch Watch

3つめの信頼できるコンピューティング(Trustworthy Computing)という開発方針を掲げた2002年は、NimdaやCoderedといったワームが蔓延し、社会的にも大きな混乱を起こしていた状況だった。また、コンピューターが社会的なインフラに変わっていく時期でもあったため、ソフトウェア開発のやり方を大きく切り替える必要があったと説明する。
加治佐氏は、それまでのやり方を、「人間の身体で言うと、けがをした時にそれをいかに迅速に対応して治すかということに主眼が置かれていた」と表現し、「それでは本質的な強さではない」と言う。これに対してTrustworthy Computingは「身体の根幹から強くなるようにきたえる方向に転換したということ」。

MS日本法人が25周年、1993年・1995年・2002年に大きな技術的転換点 -INTERNET Watch Watch

screenshot