ハッカー革命の旗手 − @IT自分戦略研究所(情報元のブックマーク数)
一方的な見方だが、見方によってはこう受け取れるのかもしれない。
ネットスケープナビゲータの成功により、ネットスケープはWebブラウザ市場で隆盛を極めた。一方、出遅れたマイクロソフトは、紆余(うよ)曲折の後、最終的にネットスケープとの直接対決という選択肢を選んだ。マイクロソフトは、ウィンドウズブランドの持つ影響力を巧みに利用して、自社のWebブラウザを普及させつつ、ネットスケープナビゲータを流通チャンネルから追いやるため、組織的に行動を開始する。
ハッカー革命の旗手 − @IT自分戦略研究所
まずはISP(インターネット・サービス・プロバイダ)の上位10社に目を付け、インターネットエクスプローラを無料で提供する代わりに、ネットスケープのWebブラウザを使用しないという排他契約を結ぶように要求した。広告費負担の肩代わりやリベートも出したという。当時、ISPは1000社ほど存在していたが、インターネットアクセスの7割5分は、上位10社によって占められていたため、その効果はかなり大きなものだったに違いない。
さらにマイクロソフトは、パソコンメーカーに対し、自社のWebブラウザをプリインストールするよう迫った。インターネットエクスプローラを無料で提供する一方で、ネットスケープナビゲータを使わせないようにする。その見返りとして、パソコンメーカーはウィンドウズなどのOSのディスカウント特典にあずかれる。しかし、拒否した場合には、ウィンドウズ系OSの最新バージョンなどの提供が受けられないかもしれないという、脅迫めいた示唆もあったという。それにとどまらず、大企業の情報システム部門やコンテンツの制作会社に対しても、同じような話を持ち掛けたという。あざやかな手並みである。
このようなマイクロソフトの猛反撃によって、ネットスケープは同社の要であるWebブラウザからの収入をほぼ完全に断たれた。そして1998年1月、ネットスケープはWebブラウザを無料化せざるを得なくなる。これは、ネットスケープの事実上の敗北を意味していた。